Profile-old

ナビゲーション載せる?

内気で小心者な幼少期

1990年2月16日

兵頭家の末っ子に4,050gのビッグベビーが誕生しました。

それが私、Satoshiでございます。

 


田んぼの中でよく遊んでいました

山と田んぼしかない四国のスーパード田舎で、
父、母、2人の姉、祖父、祖母に囲まれながらのんびりノビノビと育ちました。


僕の地元です。見渡す限り山と田んぼばかり

幼いころは人見知りで物静かで泣き虫で、
家では2人の姉に虐げられながら、
近所も年上の子ばかりしかおらず、
そんな強者たちに囲まれた厳しい環境でたくましく生きてきました。

末っ子ならではの洗礼ですよね(笑)

何かっていうとパシリにされ、いじられ、おもちゃにされる
一体何度セーラームーンごっこやらされたことか・・・

はっきり言っときますが、末っ子は甘やかされるってのは間違いですから!
末っ子ほどたくましく要領よくなるものですよ(笑)

そんな姉たちに対抗心は燃やしつつも、
なんでも姉達がやっているものは真似したくなっていたこともあり、
姉と同じようにそろばんを習ったり、
見よう見まねでピアノが弾けるようになったりもしました。

実家が田んぼや山を所有していたので、
家族みんなで毎年田植えや畑仕事を手伝ったりしていました。
僕の記憶では5歳くらいには父の膝の上で田植え機を運転していた覚えがあります。

他にも山にタケノコや栗を拾いに行ったり、
川で魚とったり海に釣りに行ったりと、
絵にかいたような田舎生活を満喫していました。

僕は幼いころから動物が好きで、
小学校でもウサギの世話などよくやっていました。

家でニワトリを飼っていた時もありました。
ヒヨコの頃はそれはもう可愛いものですが、
動物はすぐに大きくなるもの・・・
ニワトリに成長してから狂暴になってしまい、何度も襲われて泣かされましたね(笑)

ゲームとアニメと電化製品と

自然の中で田舎生活を満喫してはいましたが、
人見知りで物静かで引っ込み思案で、
実はかなり内気な子供でした。

どれくらい内気だったかというと、
良く遊ぶお隣の友達にすら、
「あーそーぼー!」と声かけできないほど・・・
親からも本気で心配されていたほどです。

そんなこともあって、
僕はどちらかというとインドア派だったのですが、
いつも家でファミコンばかりやっていました。
もっぱら横スクロールのマリオ系のゲームばかりだったのですが、
やりすぎて親にACアダプターを隠されることもしばしば。
小1の時にはNintendo 64を買ってもらい、
スマブラ、マリオカート、ぷよぷよ、にハマり始めます。


※Amazonより引用

幼いころからアニメもよく見ていました。
今でもたまに見ますが、
クレヨンしんちゃんやドラえもん、ポケモンやジブリのアニメが好きで、
ビデオテープが擦れてしまうまで何度も見たりしていました。

ちなみに、クレヨンしんちゃんとドラえもんの映画は全部見ています(笑)
クレヨンしんちゃんならやっぱり「嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦」
ドラえもんなら「銀河超特急」がイチオシです。
「のび太の結婚前夜」は大人になって見ると泣けますね。

ジブリなら紅の豚がイチオシです!

母が所有していたワープロ(当時はパソコンはまだない)に興味を示し、
保育園児ながらキーボード使って文字打ったり、絵をかいたりしていました。
親からは、僕にはいくつも電化製品で遊んで壊されたと聞いています。

そういえば車にも興味を持った時期があり、
鍵を勝手に持ち出して親の車のエンジンかけたりしていましたね。
今思えば恐ろしい子どもです・・・

当時から機械とかシステムみたいなものに興味津々で、
仕組みを知ろうとしたり実験したりするのが好きだったんです。

未知のことを実験するドキドキ、
法則を発掘して真相に近づいていくワクワク感、
新しいことに挑戦したりする楽しさは今でも変わりませんね!

小4 父を亡くし、顔面を大怪我

小4の5月に突然父が亡くなりました。
海で釣りをしていた時に、転落したそうです。
動物の死は何度も経験していましたが、
人の死、ましてや身近な人の死に遭遇したのはこの時が初めてでした。

当時の感情は「よくわからない」という状況でした。
人が死ぬってどういうこと?
悲しいってなに?
これからどうなるの?

部屋の中央に寝かされ微動だにしない父の体を不思議に思いつつ、
それでも淡々と、慌ただしく進んでいく葬儀を終え、
なんだかんだいつも通りの日常に戻っていく。

成長するにつれて時々父のいない寂しさを感じたり、
世間の扱いに嫌気がさしたり理不尽さ感じつつも、
人の命の儚さや、無常な現実を知りました。

人ってほんと突然いなくなっちゃうんですよね。
でも残されたからって悲しむ暇もないんですよ。
悲しみを乗り越えるとか、そんな小説のような出来事はなく、
現実は無情にも淡々と過ぎていく。

当時僕は子供だったので、母には僕の知らない苦労もあったことでしょう。
なんだかんだ平和に問題なく生きてこられたのは、
本当に親に感謝しなければなりません。

父が亡くなってしばらくたった7月
犬に顔面を噛まれ大けがをしました。

相手は狼のような大型のハスキー犬
「大丈夫だから餌あげてお手してみなよー」
怖がる僕に、大人は無理やり囃し立てます。

頑張ってお手をしようとしたその瞬間。
今でも覚えていますが、
牙の付いた大きな口が一瞬で目の前に迫ってきます。
小4の男の子には大型犬の口は巨大です。
右頬がじんわりと熱くなって、何か液体が垂れてくるのを感じます。
今でも怪我の跡が残っていますが、頬骨が凹むほど右頬を噛み抜かれてしまいました。
もう少しずれていたら右目を失明していたそうです。

その怪我が原因でしばらく犬が怖くて近づけなくなり、
また当時頑張って水泳大会のリレー選手に選ばれていましたが、
出場することもできなくなりました。

小4はそんな感じで酷い事件が立て続けに起こっていましたが、
意外と悲観したりはしなかったんですよね。

田舎ならではの良さでしょうか。
僕の同級生は学年で19人。男子12人女子7人。
それこそ保育園からずっと同じメンバーで、
親兄弟もみんなよく知っている仲です。

自分より先に、交通事故に遭ったり骨折などの大けが人もいましたし、
身内に不幸があった人もいました。

自分だけ特別不幸なわけじゃない
色々あるけど、いつも通りの日常がある。
学校も自分の安心できる居場所でしたから、
悲しさも恥ずかしさも感じることなく、
いつも通りみんなと一緒に過ごすことができる。

僕自身がだいぶ楽観的な性格なのもありますが、
特別落ち込んだりすることもなく平和に過ごしていました。


小学校1年の頃のクラス写真

小6 山の中の一軒家にインターネットが!

小6の時に実家に新しく一軒家が建ちました。
それに合わせてついに、我が家にもインターネットが開通します

そして初めてパソコンが我が家にやってきました!

※Fujitsu公式サイトより引用

Fujitsu のノート PC FMV BIBLO NB8/90D
WindowsXPの時代
DVDが見れる!って売りにしていたパソコンですね。

当時はまだVHSが主流の時代でしたから(笑)
ADSLだのブロードバンドだの騒いでいましたね

古いワープロや64でも散々遊びつくしていた僕にとって、
待ちに待ったパソコンの到来です。
当然パソコンは僕のおもちゃになりました。
インターネットの回線も自分の部屋に引いてもらうほどの徹底っぷりです。
むしろ僕のおもちゃとしてパソコンを買ってもらったといっても過言ではありません。

ここから僕のパソコンライフは爆速で進んでいきます。

といってもこの頃はまだまだ一般的な使い方
年賀状を作ってみたり、
ネットサーフィン(死語)したり、
ソリティアやもともと入っていたFujitsuのゲームをやったりといった程度でした。
それでもパソコンを通じて初めての体験が沢山あり、
どんどんパソコンの沼にハマっていきます。

インドアだけじゃない小学校時代!

だいぶインドアなエピソードが続いていますが、
意外と運動もちゃんとやってたんですよ!

田舎の学校ならではかもしれませんが、
夏には水泳特別練習、
秋には陸上特別練習、
冬は音楽発表会と、
季節毎に放課後に全員参加のトレーニングがあったのです。

小3からほぼ全員強制参加のようなもので、それこそ部活のような感じです。
町内水泳大会や陸上大会に向けて授業終わりに毎日2~3時間練習していました。

特別目立った結果はなかったものの、
毎日休まず練習に参加して頑張っていました。

そういうところはホント真面目なんですよ、我ながら。
やるべきこと、決めたことはきちんとやり遂げよう、
というストイックさは当時からあったように思います。

途中で投げ出すのはなんだか負けな気がして、
一度逃げたらもう戻ってこれなくなるような、
そういう意地や負けず嫌いなところもありました。

余談ですが、当時僕の小学校には「体力づくり」と称した、
毎日放課後に200mトラックを7周半走るという持久走がありました。
1,500mの持久走ですね。毎日。

その練習の成果もあってか、
小6の冬には町内駅伝大会にて学校代表の第1区走者に選ばれました。
プレッシャーを感じつつも、
みんなが期待してくれている、
応援してくれていることに、
喜びと責任を感じ、
運動苦手だったけど自主的にジョギングしたりして頑張っていました。

そして小学校を元気に卒業し、
同級生みんな同じ中学校に進学します。

中学生時代

中学時代は自分の様々な可能性が広がった時代でした。

保育園から小学校卒業まで9年間ずーっと同じメンバーだった自分にとって、
10倍近くの人数になった中学校は刺激だらけでした。

部活はバレー部に所属
小学校卒業間際に一瞬サッカーにハマっていたのもあり、
サッカー部も頭をよぎったのですが、
知り合いが誰もいないし、経験者ばかりだし・・・
ということで、
小学校からの知り合いもいたバレー部に入部しました。

レギュラーメンバーとして、ポジションはレフトのアタッカーで頑張っていました。
元々運動はそんなに得意な方ではなかったものの、
それでもレギュラーとして選ばれた責任と嬉しさで張り切っていました。
練習中に全然上手にできず悔し泣きしたことも良い思い出です。

はじめての期末テストで学年1位!

勉強は頑張りました。
中1の初めての期末テストで学年1位をとったのです!
初めてのテストで手応えも良く分からず、
順位を聞いたときはかなりビックリしたことを覚えています。

ただ、その時はテストの順位よりもあることが気になっていたのです。

テスト前に親とこんな約束をしていました。

1位:デジカメ
2位~ 5位:小遣い5,000円
6位~10位:チョコボール10個

この時既にパソコン沼にどっぷりつかっていた自分には、
デジカメが手に入ることばかり気がかりになっていました。

人は目標があると頑張れるものですね!

次の休みには早速ベスト電器にデジカメを買いに行きました。

富士フィルム FinePix30i


富士フィルム公式サイトより

画素数は200万画素

当時買ってもらったメディアは16MBのスマートメディアでした。
知ってますか!?このメディア


※amazonより引用

今では16GBのSDカードなんかが主流になってますから、
今のメディアの1000分の1ですよ!
16MBのメディアなんて今のケータイ写真だと3枚くらいしか入らないですね。
それでも当時はフィルムで24枚撮りなんかが普通の時代でしたから、
100枚も写真撮れる!なんて驚いていたものです。

そして当然このデジカメも僕のおもちゃとなります。
デジカメもって写真撮ったりはもちろん、
動画も撮ってみたり、
なぜかついてた録音機能や音楽プレーヤー機能で遊んだりしていました。

加速するパソコンライフ

中学1年の頃はデジカメが手に入ったこともあり、
パソコン好きはさらに加速します。

メールやチャットなど普通にできることは一通り使いこなし、
ネットからフリーソフトをダウンロードしてきてはいろんなソフトを実験していました。

特に当時はFlashや2ch全盛期だったので、
パソコン好きの友人同士で面白いFlash紹介し合ったりして楽しんでいました。

海外の英語のサイトなども漁ったりして、
初めてアダルトな動画を見たときの衝撃は今でも覚えています(笑)

また友人の勧めでメイプルストーリーというオンラインゲームにハマります。

狩りをしながらチャットして、
なかなか忙しいキーボード操作のおかげで一気にタイピング速度が上がりました。

またこのゲームで見知らぬ人とチャットする楽しさも覚え、
インターネットすげぇなー!と改めて感動していました。
今でもこのゲーム稼働してますから、すごいですよね!

ちなみに、初めてゲームに課金したのもこの時です。
時間限定で経験値が2倍になるチケット1,000円。
近所にコンビニがなく、そもそもお小遣い制でもなかったので、
親を説得してWebMoneyを買うのも一苦労でした。

そういえばゲーム内で荒らしにあったり、
バグ技やチート行為を目撃したり、
詐欺の被害にあったりしましたね(笑)
リアルのお金じゃなかったので実害はそれほどなかったですが、
なかなかネット世界の秩序やマナーというものも学ばされました。

ちなみにあまりにも夜遅くまでゲームしているもので、
後に親からパソコンを禁止されることにもなります(笑)

パソコンでできるゲームも一通りやりつくして、
ついに中3の時に自分でホームページを作り始めます。
Yahooのジオシティーズというもので友人がホームページ作っていたのに触発され、
自分も作ってみることにしました。

今のようにHTMLの知識もなく、photoshopやIllustratorもなかったので、
当時使っていたのは元々パソコンに入っていたホームページビルダー(Lite版)

画面に表示されるものをテキトーに配置して、
サーバーはInfoseekの無料プランで借りて、
今思い出してみるとなんとも不格好なホームページの出来上がりです。

ネットからテキトーなソースコードを拾ってきて組み込んでみたり、
チャットや掲示板のCGIを導入してみたりと、
分からないなりに実験を繰り返してホームページ作りを楽しんでいました。

不格好ながらも僕の作ったホームページが友人の間で話題になり、
チャットがみんなのたまり場になったりもしました。
ちなみにとあるカップルがいつも2人でプライベートチャットをやり取りしていたので、
なんとも気まずい状況の時もありました(笑)

放送委員長で能力開花

中学時代は委員会活動も積極的に参加していました。
いわゆる真面目な感じです。
最初のテストで学年1位を取ったことが広まり、
勝手にインテリキャラに認定されていました。
その影響もあり度々学級委員もやったりしていました。

中3の時には放送委員長も務めました。
当時なんだか直感で、これは自分が一番適任な気がしていたんですよね。
パソコン好きだし、カメラも好きだし、機械いじるのも好きだし、
何か自分の能力を活かせるような、
何か役に立てるようなことをしたいなと考え、
自ら立候補して放送委員長を務めました

学校の放送を牛耳れるのはなかなか面白いものがあります(笑)
昼の給食の時間に好きな音楽を流したり、
学校集会やイベントの舞台裏を覗けたり、
アナウンスして学校中に自分の声が響いていくのは、
恥ずかしいながらもなかなか快感でした(笑)

他にも毎朝の放送でカメラや音響機材を操作したり、
部活のインタビュー動画を作ったり、
音楽を編集したり、
またアンケートや告知の文書などを作ったりなど、
自分のパソコンスキルをフル活用して放送委員長の仕事を楽しんでいました。


中3でこんな文書作ったりしてました。時代を感じます(笑)

まさに自分の能力が活かせた瞬間ですね!
動画など、生徒たちだけでなく先生方からも好評で、
時よりパソコンの使い方を聞かれることもあったほどです。

また、NHKの「ふるさと皆様劇場」の取材が地元に来た時も、
現地の中学生スタッフとしてテレビに出たりもしました。



NHKの収録時の写真

自分の能力が人の役に立てること、
そして頑張りや結果が評価されるのは、
今でも心から喜びややりがいを感じますね。

そして、意外なことに、
中学時代にはまさかの僕のファンクラブが発足していたそうです(笑)
いわゆる体育祭マジックというやつでしょう。

3年の時に体育祭で幹部として
1年に応援合戦の指導をしていました。
真剣に練習していたので厳しい部分もありながら、
時には笑いも交えながら楽しく指導をしていました。
また、当時生徒会関連でいろいろと目立つことも多かったためか、
体育祭終了後辺りに1年生の女子から、
「先輩のファンクラブ作りました!」という知らせを受けました。

その後しばらく昼休みなどに校舎越しに黄色い声援が飛び交う日々・・・
悪い気はしません(笑)
僕は当時いじられキャラだったので(今も?)
友人たちからはさらに弄られるネタとなります。

思えばあれも一種のモテ期だったのでしょうか。
当時は他に気になる子がいたので少ししか興味なかったのですが、
もうちょっと上手に活用しておけばよかったなと今は思います(笑)

ちなみにその当時気になっていた子とは、
毎日長文のメールやり取りしたり、
一緒に帰ったり、テストの点数競い合ったりしていました。
いまでも実家のパソコンにメールのデータが残っています。

デジタルデータっていつまでもそのまま残るから恐ろしい(笑)

愛犬ロア!

中3の時にゴールデンレトリーバーを飼い始めました。
小4の時に顔面を犬にかまれた僕が、です。

近所のおばちゃんのところに子犬が産まれたということで、
一匹譲り受けることになります。
名前は何故かその時頭に浮かんだ「ババロア」という言葉からとって、

 

命名:ロア




以来、僕の一番の癒しとなります。

なんだかんだ動物好きなんです!

田んぼの中を自由に駆け回り、
遠くまで離れちゃったら寂しくなってダッシュで戻ってきたり、
また、ゴールデンなのに不審者には吠えるという有能な番犬っぷり。


学校終わりに毎日散歩をする日課が始まります。

 

中3で部活を引退してからは、
高校への受験勉強が始まります。

同じ町内にも高校はあったのですが、
姉が二人ともちょっと離れた進学校に行ったので、
それへの対抗心もあり、
自分もちょっと離れた進学校に通うことにしました。

その選択によって、
なんともハードな高校生活が始まります・・・

高校生時代


17歳の時の学生証

高校時代は僕にとって体力的に一番大変な時期でした。

 

はっきり言って部活と勉強しかしていません!
青春、夏休み、放課後の遊び、どこの世界の話ですか・・・

高校は県立の宇和島東高等学校 普通科に進学します。
県立ですが、田舎ではそこそこ名の知れた歴史ある進学校でした。


クラス写真(宇和島城の前にて)

睡眠時間4時間の生活

高校が遠かった!
片道30km
汽車を使って片道1時間半

距離と時間だけ見れば都会なら普通かもしれませんが、
ことは四国のド田舎です。
まず、
汽車が一時間に1本、ない
いつもの汽車を逃せば遅刻確定。

毎日7時前の汽車に乗り
中学に引き続きバレー部にも所属していたので、
帰ってくるのは22時

そこから2時頃まで毎日4時間は勉強していたので、
睡眠時間4時間の日々が3年間続きます。
ちなみに通学の汽車の中でも宿題を片付けたりしていたので、
勉強時間は平日でも5~6時間あったでしょう。
汽車では寝てしまってることも多かったです。

宇和島方面への汽車に乗っている学生は僕が最初でした。
つまり、その路線で一番遠いところから高校に通っていたのです。

寝不足が重なって、
ついには朝ごはん食べながら茶わんを片手に寝落ちすることもしばしば・・・

そんな状態でも部活も3年の引退までしっかり続け、
高校生活は1度も休みナシの皆勤賞!

毎日弁当を作ってくれて、
頑丈に生んでくれた親には本当に感謝しなきゃですね!

ちなみに夏休みはありませんでした。
終業式の次の日から毎日7限目まである補習授業の開始です。
補習と言いながら普通に授業が進みます。

土日も部活や模試ばかりで、
高校時代はほとんど遊んだ覚えがありません。

遊んだ思い出はしいて言えばカラオケです。
高校生になって初めて行きました。

元々音楽の授業は好きだったのもあり、
今でもカラオケにはよく行っています。
当時はゆず、ポルノグラフィティ、スピッツ、BUMP OF CHICKEN、Mr.Childrenなどをよく歌っていました。

副団長とサトシ役の体育祭での仮装

僕の通っていた高校では、
体育祭の「仮装」という演劇のような競技があります。
体育祭の場で各チームテーマに沿った劇を披露し、得点を競うというものです。
3年の時僕はその仮装の副団長を務めていました。

そして、その時のブロックのキャラクターがポケモンのピカチュウだったので、
ポケモンにちなんだ演劇をやったのです。

演劇の脚本、音響編集、ニャース役の声優、
そして名前がさとしだったので、
本番で主人公のサトシ役まで披露しました。
なんと安直な配役でしょう(笑)

体育祭の写真。真っ黒に日焼けしてますね。

体育祭の準備は本当に楽しくて、
下級生とも仲良くなったり、時には口論したりしつつも、
無事本番を迎え優勝こそ逃したものの第2位になることができました。
仲間たちと協力して、時には意見をバトルさせながら何かを作り上げていく。

リーダーシップをとることの大変さや、
人と協力して一つのモノを作り上げていく楽しさを学びました。

迎えた大学受験シーズン

体育祭も終えた高3の冬
本格的な大学受験シーズンを迎えます。
実際は高1の頃から勉強漬けだったので、
いつから受験勉強が始まったのか定かではありませんが、
この頃には志望校を1本に絞って受験勉強にのめり込んでいました。

部活もなかったので平日でも家で7~8時間くらい勉強したり、
土日も図書館に行たり、朝から晩まで14時間くらい丸一日勉強したりと、
とにかく受験のことばかり考えていました。

不思議と辛さや不安はあまりなかったですね。
大学生活へのあこがれや、
もうすぐ田舎から脱出できることへの期待、
そして周りもみんな同じような状況だったのもあり、
なんだかんだで楽しみながら受験勉強していました。

そして迎えた受験当日
センター試験ではそれまでの模試より150点ほど上回る、

814点/950点を獲得!

予想以上の高得点に自分でも驚きでした。

私立の大学に行く選択肢はなかったので、
受験したのは第一志望の国立の大学のみ。
二次試験本番までひたすら赤本を解きまくる日々でした。


※Amazonから引用

そして二次試験前日の2月24日
受験の為に初めて神戸の地に降り立ちます。

根っからの田舎者でロクに旅行も行ってなかった自分は、
初めての大都会の地にてすっかり観光気分でした。

高校3年間汽車通学をしていたのに、
初めて自動改札使ったの18歳の時です!

愛媛にはいまだに自動改札がありませんから(笑)
※2019年現在

阪急電車の特急に乗ってしまったときは焦る焦る・・・
特急って、特急料金払わないといけないと思っていましたから。
無賃乗車になるんじゃないかとオドオドしていましたね。

大学の受験会場の場所を下見したのち、
せっかくだからと意気揚々と観光地へ向かいます。
ハーバーランド、ポートタワー、三宮センター街、南京町の中華街など・・・

挙句の果てに、
もしかしたらもう二度と来ることないかもしれない、
とか縁起の悪いことを考えつつ、
せっかくだからと「神戸」と名の付く名物を食べようと思って、
あろうことか神戸牛と書いているお店へ。
世間知らずとはなんとも恐ろしい(笑)
分不相応なお店の雰囲気にすっかり飲まれてしまっていました。

今思えば前日にこれだけ気分転換できたのが良かったのかもしれません。
それまでにもう本当に嫌ってくらい勉強していましたし、
今さら焦って何か勉強してもたいして変わらない!
って覚悟も決まっていました。

そして無事、前期試験で合格して、
第一志望だった神戸大学へ進学することになります。

大学時代

2008年4月
神戸大学工学部 電気電子工学科へ入学しました。

大学時代は、
はじめての一人暮らし、
はじめての都会生活、
はじめてのアルバイト、
サークル、バンド、カメラ、バイク、鍋パ、夜更かし、酒、スノボ、海外留学、などなど・・・

高校時代とうってかわって、
遊びも学びも爆発的に世界が広がった5年間でした!


六甲山からの神戸の夜景

軽音サークル

大学では軽音サークルに所属しました。
中高とずっとバレー部にいたものの、
昔からなんとなく音楽やってみたいなーと思っていたのもあり、
大学に入ったら音楽のサークルに入るぞー!と決めていました。

大学の入学式から鬼のような新歓嵐に遭遇し、
色々なサークルや部活を回った結果、
一番馴染みやすかったサークルに入ることにしました。

音楽やる!とは決めていたものの、特に何をやるかは考えていませんでした。

とにかく楽器やってみたい!

その一心だったのです。
そして新歓ライブで見た先輩に憧れ、また体験会でやってみて楽しかったのもあり、
ドラムを始めることになります。

思えば体験会で実物見るまでドラムが足使うって知らなかったんですよね(笑)
ド真ん中にある丸い太鼓(バスドラ)、あれ飾りかただの台だと思ってましたから・・・
改めて世間知らずって恐ろしい。

はじめにスティック2本と練習用のゴムパッドだけ買って、
見よう見まねでタカタカやってみる日々が始まります。
時々スタジオを個人練習で借りて、
生のドラムを叩いたときはただ音を鳴らすだけでも楽しくて、
今思えばめちゃくちゃでしたけどとにかく楽しみまくっていました。

初めてのライブではMr.Childrenのコピーバンドをやりました。
「youthful days」「SUNRISE」という2曲です。

僕のいたサークルでは初心者の人もおおく、
僕が組んだバンドも初心者ばかりでした。

ドキドキしながら初めてステージで汗だくで演奏したライブ、
サークルのみんなが盛り上がってくれたあの瞬間、
今でも鮮明に覚えています。

あれから本当にバンド活動が好きになり、
サークルでは合宿や六甲祭などでも様々なコピーバンドをやりました。
ミスチルのほかにも、ASIAN KUNG-FU GENERATION、GLAY、GOING STEADY、
ONE OK ROCK、チャットモンチー、B‘z、ELLEGARDEN、175R、HY、アニソン、などなど・・・
ドラマーは人数が少なかったのもあり、本当にたくさんのコピバンをやりました。


なかなか撮れない貴重なドラムシーンの写真!


六甲祭の写真! (六甲祭は神戸大の学園祭です)

サークル運営の幹部も務め、
ここでも自分の特技を買われ?即決でサイバー係りに任命されました。
メーリングリストや、ホームページの管理、写真撮影、CD作成、動画作成など、
ITやカメラに関することは全てお任せでした。


サークルメンバーで遊びに行ったり


毎週ウチに集まって鍋パしたり


ときどきタコパもしたり


飲み会もいっぱいありました!

大学時代はサークルメンバーたちと本当に楽しく過ごしていました!

ウチが阪急六甲駅からすぐ近くにあったのもあり、
冬には毎週木曜日を鍋の日なんて設定して、
後輩も呼んで鍋パばかりしていました。

オリジナルバンド Morz

サークル外でも他大学の人とバンドを組み、
オリジナルバンドも結成しました。
毎月神戸や大阪のライブハウスでライブをして、
バンドのコンテストやオリジナルCD、グッズの販売などもやっていました。




就職で僕が東京に行くことになり、
また他のメンバーも今では結婚したりで、
活動は休止状態になっていますが、
みんな都合が合えばまたバンド活動復活したいなと思っています。

カメラマンのアルバイト

さて、僕の大学時代を語るうえで欠かせないエピソードで、
カメラマンのアルバイトがあります。

僕は神戸に来て最初は、
近所のケンタッキーの厨房でチキンを揚げるアルバイトをしていました。
ファーストフードと侮るなかれ、
あそこは本当にちゃんと生の鶏肉つかって、ちゃんと圧力窯で揚げているんですよ!

ケンタッキーは1年ほどやっていたのですが、
ふと、何かもっと面白いアルバイトないかなーと探していたら、
結婚式場のカメラマン(未経験OK!!)
という求人を見つけます。

中学頃からデジカメで遊びまくっていて写真を撮るのも好きだったので、
まずは試しに行ってみよう!と面接に行き、
見事採用されました。

最初の1年間はアシスタントとして働いていました。

当時はまともな接客もしたことありませんでしたから、
言葉遣いや立ち居振る舞い、
お客様に喜んでいただく接し方、
他のスタッフさんとの関わり方やビジネスのマナーなど、
写真の撮り方だけでなく、
「働く」ということをみっちり教えていただきました。

精神的にも幼く、けっこう反抗的な態度もとってしまっていましたが、
根気よく指導していただいて本当に感謝しています。

カメラマンのアルバイトを初めてから自分でも一眼レフを購入し、
本格的に写真撮影が趣味になりました。
今でもことある毎に写真を撮ったり、
また最近では動画撮影にもハマっています。

今思えば、このカメラマンのアルバイトも僕の人生の転機の一つでした。

これまで学校やサークル、
アルバイトも大学生ばかりの中で生きていましたが、
僕がそれまで関わったこともないような人たちと会うことになります。

その会社の社員、
プロのカメラマン一本で食べている人、
お水の仕事を経験した女性、
バックパッカーで世界を回ってきた人、
大学卒業後定職につかずフラフラとフリーターしてるような人、
などなど・・・




バイト先の人たちとみなと神戸の花火大会に行ったりもしました

当時の僕にとって、
大学卒業したら就職してどこぞの正社員になってサラリーマン、
というのが普通だと思っていましたから、
自分の知らない世界にいる大人たちを見て、

「人生っていろんな生き方があるんだな」

と考え始めるようになります。

ですが当時の僕はまだ、
数年後にまさか自分も脱サラして、
フリーのWebデザイナーとして働き始める
なんて思ってもいませんでした。

起業を考え始めたのは会社員になってからです。
当時の僕はなんだかんだで、
そこそこの企業に就職してほどほどに安定した生活を送るのが正解だと、
というか、それしか選択肢はないものだと思い込んでいました・・・

夢?目標?そんなこと考えるだけ無駄。
金持ちとか自分には無縁の世界だと。

特にネガティブだったわけではありません。

「人生って、そんなもん。」

だと思っていました。

就職活動

大学3回生になり就職活動を始めます。
当時の僕は、カメラ好きだし機械いじったりするの好きだし、
何より満員電車に乗ってオフィスワークのサラリーマンなんかやりたくない!
と思って、
テレビ局の技術職を受けていました。

とある関西の準キー局の最終手前まで残りましたが、
残念ながら採用には至らず・・・

別の会社からのお祈りメール

お祈りメールって、
本当にお祈りされるから面白いですよね(笑)

結局そのまま就活の波に乗り遅れてしまい、
4回生の時にもう一度就活をリベンジしました。

この時はやはり自分のできる特技を活かそうと思い、
業界・職種をSEに絞って就職活動を再開。

卒論を書きながらの就活だったのでなかなか大変でしたが、
無事、大手IT企業の2社から内定を頂くことができました。


就職活動の時の履歴書の写真

ロサンゼルス短期留学

就職活動を終え、卒業論文も書き終わって、
1年近い時間を残してあとは卒業するだけとなりました。

バイトも増やして、バンド活動も継続していたものの、
せっかくだから何かもっと面白いことしたい!と思い、
アメリカ・ロサンゼルスへ短期の語学留学に行きます。


サンタモニカビーチ

高校の時に修学旅行でオーストラリアに行ったことはあるものの、
自主的に行くのは初めての海外旅行でした!

はじめての海外一人旅で、現地のご家庭で1カ月のホームステイ!
ホームステイ先にはフランス人とオランダ人の子も同じようにホームステイしていました。


ホストマザーと撮った写真

ちょうど11月のThanks Givingの時期と重なり、
七面鳥の丸焼きや様々なアメリカ文化を堪能しました。


重たそうに持ってますが、意外とそうでもないです(笑)

アメリカのホームコメディの「Two and a Half Men」の観覧に連れて行ってもらい、
本物のチャーリーシーンを見たり、アメリカのコメディドラマの生の笑い声や歓声を聞いて、
「聞いたことあるやつ!本物やー!」とめっちゃ興奮していました。

当然ですけど、
Ahhhhhhhhh!!とか、Fooooooo!!とか、Yeeeeeeah!!とか本当に言ってるんですよ(笑)

ちなみにアメリカの映画館で映画を見る時も、すっごい歓声が上がります。
現地の映画館で007の映画を見たときも、
あの印象的なBGMが流れただけで拍手喝采大歓声!でした。

語学学校はUCLA近くのELCロサンゼルス校というところに通っていました。
日本人だけでなく世界各国から様々な人が留学に来ており、
一緒に遊園地行ったり、ハリウッドなど観光に行ったりしてたくさんの友達ができました。



語学学校のクラスメイトたちと

ロサンゼルス滞在中に、
ラスベガスとグランドキャニオンにも行きました。

ラスベガスではシルクドソレイユのショーを見たりカジノで遊びまくったり。
トップレスショーも見に活きましたね(笑)
グランドキャニオンでは見事な巨大な岩の渓谷に驚いたり!

格安の中国人のバスツアーだったので、
行き帰りで良く分からない中国語のカラオケが始まったのには戸惑いましたが、
アメリカの広大な大地と熱気を感じることができるとても良いツアーでした。


ラスベガスのBellagio


グランドキャニオン

他にも、
ハリウッドでスティーヴン・スピルバーグ監督を目撃したり、
絶叫マシンだらけの遊園地に行ったり、
射撃場で実弾の射撃に行ったり、
サンタモニカビーチでサーフィンに挑戦したり、
などなど・・・

これでもかっ!というくらいアメリカを満喫しました。


絶叫マシンだらけの遊園地


ロサンゼルスのダウンタウンにある射撃場


ハリウッドで見つけたスピルバーグ監督(のはず・・・)

意外と楽しかったのは現地のスーパーマーケットです。

日本にはないものがいっぱい売ってたり、
めっちゃデカイケーキや、
一面シリアルだらけの棚や、
何リットル入ってるんだっていうようなアイスクリームのバケツ

いつもの自分の日常生活と比較できるところには、
異文化を実感することができていろんな発見があります!

それ以来、海外旅行に行くときは必ず現地のスーパーマーケットを漁りに行きます。

国によって本当にいろんな違いが見て取れるので楽しいですよ!
ぜひ海外行ったときはスーパーマーケット漁りやってみてください。
オススメです!

遊びも勉強も充実させた大学時代

そのほかにも大学時代には、
バイクの中型免許を取得してHONDA CB400SFを乗り回したり、
毎年スノボに旅行に行ったり、
青春18きっぷで広島、福岡、熊本、のほうへ旅行に行ったり、
自作のデスクトップPCを作ってみたり、
などなど・・・


大学時代に乗っていた中型バイク CB400SF


スノボ


青春18きっぷで行った熊本城


広島の原爆ドーム


宮島近くのゲストハウスでバックパッカーたちと交流


自作PC

数えきれないほど沢山の経験をしました。

もちろん勉強もちゃんとやっていますよ!


大学の授業の実習で作った「あっち向いてホイのプログラム」のアルゴリズム

卒業論文では
「特定Webサイトに閉じた情報ナビゲーションシステムに関する研究」
という研究をしていました。

ユーザーのWebサイトの閲覧行動を分析して、
ユーザーの趣味嗜好に合う情報を提供するといった、
Amazonなんかでもよくあるリコメンドシステムの類です。

そんな感じで大学時代を最後まで満喫しつつ、
就職して東京へ行くことになります。

そこからまた新たな世界が広がりました。

社会人時代

2013年4月
僕は就職の為に上京します。

就職先は一部上場の大手システムインテグレータ
一応SE希望でしたが総合職ということで、
まだ配属も職種もわからないまま新入社員研修が始まります。

張り切りまくっていた研修時代

思えば、その当時はまだ学生気分でした。
会社の借り上げマンションの寮に入ったのですが、
そこは丸ごと全員同期が入居していて、
研修終わりも毎日のように飲み歩く日々。

同期もみんなアクティブでノリの良い人ばかりだったので、
毎日合宿のような、そんな感じでしたね。

研修ではあいさつから名刺交換などの基本的なビジネスマナー
オフィスソフトの扱いやグループワーク研修、
また基本的なIT知識の勉強など2カ月に渡る充実した研修でした。

5年間の大学生活で、
「早く働きたい!自立したい!」と思っていたので、
この研修時期はそれはもう張り切っていました。


まだ学生気分の新入社員研修時代

後々知ったことですけど、
この新人研修ってすごくお金がかかるんですよ!
ITの専門の研修などもあったので、
数百万とかかかってたりしますからね。

起業家になって改めて考えてみると、
本当にありがたい話です。

その時の印象的なエピソードで、
社員総会で新入社員全員でのパフォーマンスを披露するという機会がありました。
会社で毎年行われているもので、
今年の新入社員がどんな人たちなのかステージでお披露目するというものです。

そこでも中核メンバーとして、
他の100人以上いる新入社員のまとめ役を買って出ていました。
気合も入りすぎて同期たちから少々怖がられていたほど・・・

短い期間でしたが、全員一致団結してパフォーマンスをやり遂げ、
まるで軍隊みたいなパフォーマンスだった、という評判もあったようです(笑)

その後もITの専門知識の研修や資格を取得したりと、
半年近くの研修期間を経て、
ついに職種も決まり、
SEとして正式に部署へ配属されることになります。

会社員の現実を知る

入社当初からそれだけ気合いが入っていたことや、
長い研修期間で働きたい欲が高まっていたのもあり、
それはもうやる気いっぱいで配属先に赴くことになります。

ですが、そこで現実を知ることになります。

僕が配属されたのは、とある携帯会社の基幹システムのアプリ開発の部署でした。
会社内でもトップの稼ぎ頭の部署と言われており、
社員数も100人を超えるかなり大きな部署だったのです。

これはもうやりがいのある仕事が待っているに違いない!
残業・終電帰りドントこい!
そんな気持ちで仕事に臨んでいました。

僕が最初に与えられたのは、
パソコンなどの備品整理、資料のコピー、電話番などの雑用です。

打ち合わせがあるときは会議室の手配をしたり、
冬になったら加湿器の水替えをしたりなど・・・
それは良いでしょう。新人なのだから当然です。

雑用も誰かがやらなきゃいけない大事な仕事です。
与えられた仕事は責任もってきちんとやり遂げていました。

時々システムのテスト業務というものもありました。
仕様書を見て、
目が眩むような細かいマトリクス状のテスト項目を逐一確認しながら、
画面をカチカチしていくというお仕事です。

これも品質保証のための大事な業務です。
はっきり言って面白くはなかったですが、
任された以上はちゃんとやろうと真面目に取り組んでいました。

でも、これがあるときはまだよかったのです。
とても大きな部署に新人がたった一人、
しかもそのプロジェクトも落ち目の時期だったのもあり、
自分に振られるような仕事なんてほとんどなかったのです。

実際、先輩に「お手伝いできることありませんか~?」と聞いても、
「ない」の一言で終了。

「将来のためにこの研修受けたいです!」と上司に懇願しても、
今は必要ないからダメだと一蹴されたり・・・

先輩たちも遅い時間に出勤してきて、
挙句の果てにYoutubeやニコニコ動画を漁ってる日々・・・

満員電車に乗ってがんばって出勤しても、
「今日は何かやることあるかなー」となってしまう毎日。

暇なまま座っていると眠たくなってしまうので、
とりあえず掃除ばかりしていました(笑)

そんな状況を他の同期たちにもネタにされ、
本気で心配までされてしまいました・・・

今でも思いますが、
「暇」なのが一番つらいです。

残業が多くて大変なのも辛いでしょうが、
暇すぎて時間を無駄にしてしまうことも本当に辛いのです。

元々仕事へのやる気が高かったのでなおさらです。

何もやることがない、
でもその場所に居なければならない。

一体自分は何をしているんだろうか。
なんでこんなに無駄な時間を過ごしているんだろうか。

 

「このままだと全然成長できずに将来死んでしまう・・・

 

周りの同期たちはどんどん経験を積んでいる中で、
自分だけが取り残されてしまっているような、
本気でそんな不安に襲われていました。

新人のうちはそんな時期も仕方ないのかもしれない。

でも、このまま流されていくだけで大丈夫だろうか?

だからと言ってどうしたらいいのかもわからない・・・

どうしようもない不安とモヤモヤした気持ちを抱えたまま、
とりあえずの日々を過ごしていました。

異業種交流会で世界を広げる!

東京にやってきて半年ほどたったころから、
異業種交流会に参加し始めていました。

最初は友人と一緒に彼女作りを目的に街コンに参加したのがきっかけでしたが、
会社とも学校とも違う、
いろんな人に会えるのが楽しく、
休日や仕事終わりにも一人でもいろんなイベントを探しては参加していました。

そこで起業家やフリーランスの人たちの話も聞いたりして、
自分の今の状況や、将来のことも考えるようになりました。

30代前半で品川のタワーマンションの最上階に住んでいる人起業家さんに会った時、
自分と同じ神戸大学出身で元SEだったということを聞いて、

「あ、自分でも起業家とか金持ちになれる可能性あるんだ」

と初めて現実のものとして考えることがありました。

それまでは、
起業家とかお金持ちなんて一部の才能ある天才しかできないものだと、
勝手に思い込んでいました。

自分と似たような経歴の人がそうやって成功している姿を見て、
一気にイメージが変わりました。

変な言い方をすれば、

「こんな人でも成功できるんだったら自分でもできそう!」

って思ったのです。

その当時の自分はまだ入社一年目で、
仕事も社会もまだまだ良く分からない状況でした。

しかし、いざ将来や今の現実を考えた時に思ったのです。

このまま何も考えず、
流されるまま人生過ごしていったらどうなるんだろうか?

今の自分の状況といえば、
毎日満員電車で吐きそうになりながら会社に行っても、
何もやることがないままダラダラと過ごす日々。

バンドをやめて特に趣味もなく、
せっかくの土日もテキトーに飲み行ったりしてるだけ。

会社の周りの先輩たち見ても、将来どうなるか目に見えている・・・

 

だけど、

もし自分も起業家になったらどうなるだろう

もし自分も金持ちになってタワーマンションとか住んだりできたら

今よりももっとやりがいのある仕事や、人の役に立つことができたら

今のどうしようもない状況も変えることができたら

 

 

 

人生は一度きり。

自分の人生を変えることができるのは自分自身。

何もしなかったら一生後悔する。

 

 

 

不安や期待を抱えながら、
ウジウジ迷っている自分を奮い立たせ、
起業家への道を歩み始めます。

起業家の人生スタート!

社会人2年目の5月から、副業としてビジネスを始めます。
その当時は代理店営業として人を紹介するビジネスをしていました。

営業なんか全く未経験でしたから、
最初のうちはなかなか思うような結果が出ませんでした。

それでも営業活動の一環として、
飲み会やイベントを主催したり、
いろんな人脈を作ることができたりと、
新しい世界がどんどん開けてきて、
自分自身の成長や価値観の広がりを感じ、
楽しみながらビジネスをしていました。


はじめて共同主催したイベントの写真

ビジネスのセミナーや勉強会などにも参加し、
営業も徐々に結果が出てくるようになりました。

脱サラして営業のフリーランスに

社会人3年目の12月にサラリーマンを辞めて、独立しました。

25歳の時です。

自分は起業家として本気でやっていこう!
もう後戻りはしない!

そう決断して、会社員という道を断ちました。

正直なところ勢いで脱サラした部分も大きいです。

ちなみにこの当時住んでいたのは、
港区にある4畳半ほどのシェアハウスです。

ひとまず出費を最小限に抑えつつ、
そして活動しやすい場所に拠点を作ろうと思い、
東京タワーのお膝元に住んでいました。

バス・トイレ・リビング・キッチン共同。

隣の人は東南アジアの方らしく、
いつも独特な香りの料理を作っていました(笑)


当時住んでいた4畳半のシェアハウス

このシェアハウスには約1年ほど住んでいました。
日本人も外国人も、年齢も職業も様々な人が住んでおり、
時々リビングで将来の夢など語り合ったりしていました。

会社を辞めた時はまだ安定した収入にはなっていなかったので、
正直お金にはかなり苦労しました。

昼ご飯はスーパーの80円の菓子パンだけで済ませたり、
交通費を節約するために新宿から田町まで深夜に歩いて帰ったり
それでも家賃が払えそうになくて、
カードローンでお金を借りたりすることもありました。

あの時ほどお金を渇望したことはありません。

会社員やってるとなんだかんだ給料は入ってきますけど、
自営業になると本当に収入ゼロになることありますから。

お金の大事さと、お金がない悔しさを心底噛み締めました。

それも今となっては良い思い出です。
「大変だった」という経験も挑戦したからこそ得られる大切な経験です。

当時は不動産やウォーターサーバー、化粧品などの紹介営業をしていました。
営業活動を通じて金融知識や健康・食に関することもたくさん学びました。

特に一番学んだのは何と言っても人との接し方です。

接客の経験はあったので喋ることは苦ではありませんでしたが、
それだけでは営業はうまくいきません。

相手とどれだけ信頼関係を築けるか、
相手の悩みや問題をどれだけ親身になって解決できるか。
ということがとても大切なのです。

人は人で磨かれると言いますが、
この営業時代は本当に波乱万丈あって自分が特に成長した時期です。

今でこそWebデザイナーとして活動していますが、
どんなビジネスも人無しには成り立ちません。
人間同士の信頼・信用、そしてコミュニケーションは不可欠です。

人とのかかわり方を磨くのに営業は最適です。

普通の会社員やってるだけでは会えない人や、
今の自分とは全然次元が違うすごい人、
性別を超えた人や国籍も違う人など、
普通に生活しているだけではなかなか会えない人と関わることもあり、
自分の中の世界がどんどん広がっていきました。

営業で関わるということは、
ただ仲良くなったりするのとは少し違います。

仕事だからこその責任感や、
相手のことを深く知ろうとすることで、
普通に友達と関わったりする以上に考えたり悩んだりすることがありました。
だからこそ相手の役に立つことができたときは本当にうれしく感じました。

大変なこともいっぱいありましたが、
この営業経験も今の自分にとても役立っています。


営業時代に主催したハロウィンパーティーでの仮装
※テーマ:突っ込みどころ満載のサムライ

絵描きの人にモデルにされちゃいました(笑)

Webデザイナースタート!

代理店営業として結果も出始め、
成績も上げて表彰もされたりしていた頃、
知り合いの社長から「会社のホームページ」を作ってほしい、
という相談がありました。

僕は確かにIT企業の元SEでした。
中学時代にホームページビルダーで自分のホームページ作ったこともあります。

ですが、ことは会社の正式なホームページです。
趣味で作るのとはまったく違います。

会社員時代も全然やっていた分野も違いますし、
HTMLやCSS、デザインなんかもまともにやったことはありませんでした。

それでも、
せっかく頼ってもらったのだからと、
その社長の依頼を引き受けることにしました。

はじめてのWebサイト制作

中学時代にホームページ作ったりはしたものの、
PhotoshopもIllustratorも使ったことはありません。
CSSってなにそれ?というような状況でした。

ホームページ作れることは知っている、
でもちゃんとしたやり方は全然知らない。

そんな、ほとんどゼロの状態から独学でWeb制作の勉強を始めました。

当時は低スペックなMac book airしか持っていなかったので、
まずは秋葉原でパソコンを入手するところから始まります。

Adobeのソフトってどうやって入手するの?
というところから調べ、
参考書を買ってみたり、
Web上に落ちてるサンプルを試してみたり、
実験と試行錯誤を繰り返し、
約2カ月をかけてホームページを何とか作り上げました。

改めて振り返ってみると、
Web制作ってやろうと思えば本当に誰でもできるなーって思います。

なぜかって、
Web制作は全部パソコン作業なんですよ。

パソコンって誰が操作しても、
手順通りにやれば誰でも同じものが作れます。

例えば、

「ばら、きりん、れもん」

これらの漢字を手書きでさっと書けますか?
しかも筆文字でかっこよく!

僕には無理です(笑)

ですがパソコンでなら、
キーボードで入力して変換すれば、

「薔薇、麒麟、檸檬」

って正確に書けますよね。

wordとかでフォントを筆文字の行書体とかにすれば、
それだけで

ってな具合に簡単に書けちゃうんですよ。

これを僕はパソコンの究極の再現性と呼んでいるのですが、
デジタルデータのパソコンだからこそ出来ちゃうんです!

実際、僕がWeb制作を依頼されて一番心配だったのが、
「デザインのセンス」です。

一応SEでしたし、プログラムとかは何とかなると思っていました。
ですがデザインに関しては完全未経験で知識も全くありません

正直今でも僕は絵を描くのは苦手です。
なんせ手先が不器用なので、
フリーハンドで絵を描こうとするとなかなか大変なことになります(笑)

でも、パソコンならそれでもなんとかなっちゃうんです。

パソコンでイラストを描くときも、
筆の熟練度だったり手先の器用さとか全く関係ないんですよね。

きれいな図形も、まっすぐな線も、
グラデーションや幾何学模様だって
自由自在に簡単に書けちゃうんです

それにWebサイトのデザインに関しても、
王道なものはだいたいやり方が決まっているんですよね。

ノウハウもサンプルもいっぱいあるので、
参考にして同じように作るだけで、
一般的なWebサイトと同じものが誰でも作れちゃいます。

そんな特徴があったからこそ、
未経験な僕でも何とかまともなものが作れたんだと思います。

ですが、

独学はオススメはしません。

当時を思い出してみても、なんと無駄な作業の多かったことか・・・

質問できる人も誰もいないし、
やり方があってるのかわからないし、
変なもの納品して損害とかなったら大変だし、
参考書見てもわからない事多かったし、
Webの情報なんて古いものや怪しいものだらけだったし・・・

不安なことも多くてんやわんやでした。

僕はだいぶパソコンの扱いに慣れていたので何とかなったものの、
おそらくみんな挫折します(笑)

試行錯誤を繰り返し、
はじめての仕事の依頼を無事やり遂げます。

そして、その時作ったホームページを喜んでもらい、
なおかつ報酬も結構頂けたこともあり、

「あ、Webデザイナーって稼げるじゃん!」

と思い立ち、
本格的にWebデザイナーとして活動を始めます。

今思えば営業時代から、
もっと自分の能力を活かせることはないかな?
とずっと考えていたんです。

確かに結果は出るようになっていたけど、
このままずっと代理店として生きてくのだろうか?
自分ならではのビジネスって何かできないだろうか?

そう考えていたのです。

確かにパソコンは得意な方でしたが、
前の会社の同期たちのほうがよっぽど知識もあるし、
自分は独立できるほどの高い技術力があるわけでもないし、
これで稼ぐなんて無理だろうと考えていました。

ですがいざ依頼を受けてやってみると、

「自分でもできることがある!」

と気づいたのです。

天才的な能力があるわけじゃない。
でも、喜んでくれる人がいる!

そこに自分の将来の可能性を感じ、
本格的にWebデザイナーとして活動を始めました。

Webデザイナーの活動開始

Webデザイナーの何がいいかって、
やるべきことが超明確なんですよ。

Webデザイナーの仕事はWebサイトを作ることなんですが、
つまり、このビジネスはシンプルな「モノづくり」のビジネスなんです。

お客様から作ってほしいと依頼されたものを、
自分で作って納品する。

それでお金になるんです。

代理店営業をやっていた頃って、
僕にとってどうにも曖昧な要素が多くて常に不安があったんですよね。

どんなに親しく接していても突然連絡来なくなったりするし、
どれだけ上手にプレゼンできたとしても思いがけない理由で断られたりするし、
「買います!」って言った翌日に突然キャンセルされたりもするし・・・

確かに営業は100発100中なんてありえないので、
そういうことが起きるのも仕方ない部分ではあったりするのですが、
ビジネス初心者で経験も浅く、
ましてや脱サラしたばかりで金銭的にも厳しかった自分にとっては、
精神的にも体力的にもキツイ部分も多かったのです。

その点、Webデザイナーの仕事は、
お客様から依頼を受けて、
要望に沿ってきちんとWebサイトを作成すれば収入を得られます。

営業代理店だったら1ヵ月に100人以上と会っても収入ゼロだったりするのに、
Webデザイナーだと1~2件作るだけで20~30万とか手に入ったりするんですよね。

しかもWeb制作の作業は契約が成立してから始まりますから、
時間の無駄が圧倒的に少ないんです。

不動産やウォーターサーバーや化粧品などの営業に比べて、
Webサイトを作りたいって人の要望は明確ですから、
小難しい解説やプレゼンとか、
あの手この手で魅力アピールしたりしなくても、

お客様の方から、

「こんなWebサイト作ってほしい!」

と欲しいものを伝えてくれるんですよ。

僕らはそれに応えて作るだけですから、

何を作ったらお客様は喜んでくれるのか、
どうしたら自分に収入になるのか、

というのがすごく明確なのです。

Webデザイナーとしての活動を始めてからは、
さらに精力的にビジネス活動することになります。

デザインセンスを磨くためにあらゆるサイトを3,000サイトほど分析してみたり、
日常でも電車の広告や看板、チラシなどをよく観察するようになったり、
また美術館巡りが趣味にもなりました。


とある美術展の作品
着物を着てるのは、当時着物の生活にハマっていたからです


華道展に行ったりもしました

クラウドソーシングのLancersで仕事を取り始めてからは、
2カ月目からWeb制作一本で生活できるくらいには稼げるようになり、
4ヵ月ほどで認定ランサーにも認めてもらいました。

※認定ランサーとは
日本最大級のクラウドソーシングであるランサーズ(依頼数100万件・依頼額1000億円超)
において、登録しているプロの中でランサーズが定める基準をすべて満たしたランサーのこと。
クライアントからの評価が平均4.8以上(5段階中)の高評価、上位20%以内に入る獲得額、
その他返信速度や納品実績などの様々な条件を高水準で満たすことにより獲得できる

お客様から直接感謝の言葉や評価もいただき、
本当にやりがいをもって働いていました。


Lancersで頂いたコメントの一部

フリーランスになって旅行三昧

Webデザイナーを初めて半年ほどたったころ、
あることに気づきます。

「あれ、これ家じゃなくても仕事できるじゃん?」

それまでの営業時代はアポイントなどの関係で、
どうしても活動場所が都内などに限られていましたが、

Webデザイナーとなってからは、
お客様とのやり取りもほとんどオンラインだったので、

パソコン1台あればどこでも仕事ができる状態

になっていることに気づいたのです。

ということで、行ってきました!

 

アメリカ旅行!!

 

なぜアメリカに行ったのかというと、
昔からずっと行ってみたい場所があったのです。

それが、

シリコンバレー!

たくさんのベンチャー創業者が集まり、
AppleやGoogleなど世界的な有名IT企業が拠点を構えるその場所に、
行ってきました!

もともとパソコンが好きだったこともあり、
シリコンバレーは存在を知った時から気になっていました。

今や世界を制する有名企業がどんなところで生まれたのか、
アメリカの先進企業がどんなところで仕事をしているのか、
ずっと興味があったんです!

今でも新しいベンチャー企業がどんどん生まれるシリコンバレー、
どんな所か確かめるために行ってきました!

1週間ホームステイをしながら、
Apple、Google、Oracle、intel、など様々な企業の本社に赴き、
お土産もいっぱい買っちゃいました!





intelに入ってる

またシリコンバレーの近くには有名なスタンフォード大学があります。
現地の学生と交流したりもしました。


スタンフォード大学の学生たちと


スタンフォード大学で折り鶴折ったりして交流しました

ちなみにこの時着物を着ているのは、
当時着物の交流会などに参加していて着物生活にハマっていたからです。

アメリカで着物着て歩いても意外とあまり目立たなかったんですよね
むしろ日本で着物で出歩いてる時のほうがジロジロ見られますね。

また、シリコンバレーに行くついでに、
サンフランシスコやヨセミテ国立公園にも行ってきました。

サンフランシスコではヘリコプターに乗って遊覧飛行をしたのですが、
運よく操縦席の隣に乗せてもらって、
機械好きな僕はすっかりテンション上がりまくっていました!


ヘリから撮ったゴールデンゲートブリッジ


ヘリの操縦席の計器。こういうの見るとテンション上がりますね!

このヘリコプターの遊覧飛行では、
ゴールデンゲートブリッジの下をぐるっと潜ってくれるんですよ!
ヘリコプターじゃないと味わえない迫力とスリルが満載でした!



ヨセミテ国立公園

Mac OSの名前にもなったYosemiteです。
冬で雪に覆われてはいましたが、
自然がいっぱいでとても気持ちの良い場所でした。

その後サンフランシスコを後にして、
フロリダ州にあるNASAにも行ってきました。
西海岸から東海岸なので、ついでで行くような距離ではないですが(笑)
ケネディ宇宙センターにも一度行ってみたかったんです!

本物のスペースシャトルや、
実際に宇宙に行ってきたアポロなどを見て、
人間ってすげぇなー!って感動しました。


NASA


ロケットってこんなに大きいんです!


スペースシャトル


実際に宇宙から帰ってきたアポロ


お土産屋に売っていた宇宙食のアイスクリーム

食べてみると、結構ちゃんとアイスクリームの味だったんですよ!

約3週間に及ぶアメリカ旅行でしたが、
旅行中もパソコンを持参していつも通り仕事をしていました。
ホテルやホームステイ先で空いてる時間に作業ができます。

フリーランスなので有給取得とか気にする必要もありません。
本当に自由なライフスタイルを手に入れたなって実感していました。

 

今でも旅行にはよく行っています!

海外だと




文化的な理由で2019年10月にエアーズロックが登頂できなくなるということで、
ラストチャンスで行ってきました!

オーストラリアは本当に広大ですね!
ウルルも大きくてすごい迫力でした。

 




シンガポールで開催されたビジネスセミナーへ参加しに、
シンガポールまで行っちゃいました!

マリーナベイサンズのインフィニティプールからの眺めは絶景です。

 




タイのバンコク&プーケットへ行ってきました。

バンコクの水かけ祭りに参加したり、
ムエタイ体験したり、
ワットポー等の有名な寺院・王宮を観光したり、
料理も旨いしマッサージも気持ち良いし、
タイには面白いことがいっぱいありました!

 




フリーランスや経営者の友人たちと台湾旅行にも行きました!

台湾はとにかくメシがうまい!

直前に急に誘われた旅行でしたが、
みんな自由な働き方をしているのもあり、
とんとん拍子で旅行が決まりました。
有給だとか気兼ねすることなくワイワイ旅行できました。

 




物販ビジネスの勉強をしていた時に、
中国の上海と義烏へ仕入れツアーに行きました。

あやしいブランド品が置いてあったり・・・
中国料理を堪能したり、
時速431km/hで走るリニアモーターカーに乗ったりしました!

 

国内でも




沖縄では美ら海水族館に行ったり、
ダイビングを体験したりしました!

旅行に行くときはパソコンも持って行って、
現地で仕事片付けながらじっくり観光しています。

沖縄は本当に海がキレイで、また行きたいですねー!

 




北海道ではバイクをレンタルしてツーリング!
札幌から稚内、旭川、富良野と回ってきました。

北海道は広々としていて本当にバイクで走るのが気持ちいいです!

パソコンがあればキャンプ場でも仕事できちゃいます。

 




島根・出雲へ縁結びのお参りへ

出雲大社はとても気持ちの良い場所でなんだかパワーを感じます

贅沢に活き松葉ガニもいただいちゃいました!

 




大井川鐡道のSLに乗って、
山奥の秘境の寸又峡へ行ってきました。

エメラルドグリーンの湖と豊かな自然が気持ちいいです。
たまには温泉旅館でまったりするのもいいですね!

旅行行く度に実家に現地の名産品なども送ったりしています。
北海道に行ったときは蟹を、
沖縄ではマンゴーを送ったりしました。

姪っ子にパンダのぬいぐるみ送ったりもしましたが、
やっぱりアンパンマンの方が好きなようで、
改めて国民的ヒーローの強さを実感しました(笑)

 

旅先のホテルや旅館などで仕事をすると、
いつもと気分が変わって仕事が捗ることも多いです。

近々日本一周しようと考えています!

ぜひおすすめスポットや名物など教えてください!

新しい趣味「空手」

Webデザイナーを始めてほぼ同時期に、

「空手」を始めました!

まさか大人になってから自分が武道を始めるとは思ってもいませんでした。

 

もともと運動不足の解消とストレスの発散を目的に、
何かスポーツはじめようと思っていました。

どうせならやったことない新しいことをしようと思い、
日本文化が好きなのと、
そういえば武道ってやったことなかったなーと思い、
近くにあった道場に体験に行ってみました。

以来、見事にハマって、
週2で稽古に通っています。

文武両道とはよく言いますが、
やはり体を動かすのはいいですよ!

仕事をしているとどうも頭ばかり使いがちですが、
体を動かし、気持ちよく汗をかくことで仕事の効率も上がります。
実際、稽古の後に良いデザイン案が閃いたりもしていました。

大会に出場して賞も貰ったりなど、
ビジネスとはまた違った刺激が沢山あり楽しいです!

 

空手をやっていて思うのですが、

やはり指導してくれる人の存在って大事だなと思います。

僕はまだ経歴が浅いのもあり、
先輩方から毎回ご指導いただいて日々稽古に励んでいます。

大人になると悪い部分をきちんと指摘してくれる人が少なくなりますが、
僕の通っている道場は本当にみなさん真剣に指導してくださります。

空手の道場もたくさんありますが、
僕の通っている道場は師範が基本を特に大事にしており、
また空手だけでなく武士道や礼儀等もしっかりと指導していただきます。

師範の人柄の良さもあり、
道場は都内でも有数の規模を誇り、
また世界大会で優勝する人も輩出するなど実績もすごいのです。

もちろん実績だけが全てではありませんが、
どんな人から教わるかということはとても大切です。

こんな道場だったからこそ、
僕も大人になって始めても楽しく続けることができたのだと思います。

ビジネスに関しても同じなんですよね。

僕が何も知らない時に、
もし詐欺師のような酷い指導者に会ったりしていたら、
独立や起業のイメージを悪くして何も挑戦しなかったかもしれません。

挑戦していたとしても、
今のようなライフスタイルも手に入れられなかったでしょう。

当時は本当に信用していいのか半信半疑ではありましたが、
ビジネスや起業の可能性を見せてくれて、
ビジネスに本当に大切なことを教えてくれる人から学べたことに、
本当に感謝しています。

 

空手を始めてから他の格闘技にも興味を持ちはじめ、
亀田和毅のボクシング観戦にも行きました。

ボクシングジムに通ってる友人にチケットを取ってもらって、
1席10万以上する、リングのすぐ横のVIP席で観戦しました!


選手の本当に間近だったので、
汗のしぶきも見えるほど大迫力でした!
AbemaTVで那須川天心の試合を見たりもしました。

昔の自分だったらボクシング観に行ったりはしなかったと思います。

こういうことができるようになったのも、
いろんなことにどんどん挑戦してきたからこそだと感じています。

 

ビジネスで稼ぐ

Webデザイナーの仕事を始めて、
月の収入でだいたい80~100万くらい稼げるようになっていました。
家賃15万程のデザイナーズマンションの最上階にも引っ越しました。



15階でしたが小高い丘の上にあったので、景色も抜群に良かったです!

憧れのタワーマンション最上階へ

起業の道を歩むと決めた時からずっと憧れだった、
タワーマンションにも住むことができました!

 

52階の最上階です!

しかも28歳の時にです!

 

はじめて品川の起業家さんのタワーマンションの部屋に行ったときは、
30前半で月収100万すげぇ!タワマンすげぇ!
自分も30代にはそれくらいになっていたい・・・
って思っていましたが、

20代で叶えることができちゃいました!

家賃は20数万円の部屋で安いとは言えませんが、
よくよく考えれば月に50~60万くらい稼ぐことができれば、
仮に家賃で20万払ったとしても、
残り30万で余裕もって生活できますからね。
不可能なことではありません。




ビジネスを始めたときは4畳半のこんなシェアハウスに住んでいましたから・・・

それから考えると自分でも驚きです。

 

思えばビジネス始めた当初にやりたいと思っていたことは
だいたい叶えることができました。

脱サラして自分のビジネスを持つ
満員電車から解放される
服装も髪型も自由にできる
海外旅行行きまくる
月収で100万稼ぐ
都心のタワーマンションに住む
ブランド品を買ってみる
平日の朝でも好きなだけ寝る
などなど・・・

働き方や稼ぎ方をコントロールできるようになることで、
あらゆるやってみたいことを叶えることができます。

特にどこでもパソコン一台で仕事ができるっていうのが大きかったですね!

旅行しながら仕事ができますし、
時間を無駄にせずに効率よく仕事をすることができます。


金髪全盛期:手越みたいだとよく言われました


ブランド品を買ってみたりもしました。


A5ランクの超うまい焼肉にも行ったりしています


クロスバイクも買っちゃいました!

勉強してどんどんレベルアップ

フリーランスとして動き始めてから、
ビジネスの勉強もどんどん加速しました。
使える時間が増えたうえに、
どんなことに挑戦しても自由なので興味も好奇心も爆発しました!

世界的な有名人から学ぶために10万~30万払ってセミナーに参加したり、
ジェイ・エイブラハムやジェームス・スキナー、
また、ジョブズと一緒にAppleを創ったスティーブ・ウォズニアックに会いに行ったりもしました。



国内の有名マーケッターにも会いに行き、
Webマーケティングの勉強もしています。

他にも年商50億稼ぐシンガポールの実業家から学んだり、
億単位の売り上げを作る人たちのコミュニティに参加したりもしました。

また営業のころから、
人間をもっとよく知りたいと感じており、
人との関わり方をもっと勉強するために、
NLPやコーチングのセミナーを受講し資格も取得しました。

<取得した資格>
NLPプラクティショナー / プロコーチ(一般社団法人エグゼクティブコーチング協会認定)
NLPコーチング・プラクティショナー(全米NLP協会認定)
タイムラインセラピー・プラクティショナー(タッド・ジェームスカンパニー認定)
上級心理カウンセラー / メンタル心理カウンセラー

ビジネスはやればやるほどどんどん新しい世界が広がって、
学ぶことや自分が成長できる可能性もどんどん広がります。

これを体感してくると、学ぶことがどんどん楽しくなってくるんです!
新しい世界が広がる感じ、
自分がどんどん成長していく充実感はとても気持ちが良いです。

実際、僕がこれまで勉強やセミナーなどに費やした時間やお金を考えると、
金額でいえば覚えているだけでも600万円以上は自己投資しています。

  • 営業コンサルティング 60万円
  • DRM、マーケティング勉強会 27万円
  • ストーリーマーケティング教材 8万円
  • 自己啓発セミナー 9万円
  • 上級心理カウンセラー取得 5万円
  • ビジネスコーチ養成講座 36万円
  • Webデザイナー技術講座 57万円
  • ネットビジネスコミュニティ 50万円
  • 動画マーケティングセミナー 3万円
  • 某有名マーケッター講演会 30万円
  • OEM物販仕入れツアー・セミナー 16万円
  • スティーブウォズニアック講演会 8万円
  • シンガポール在住の成功者からのビジネスコンサル 200万円
  • ビジネス書など200冊以上 約20万円
  • その他セミナー100回以上参加 20万円

起業家の人たちは勉強にお金使ってる人が多いです。
僕の知り合いの社長さんたちだと、
年間で1,000万円とか、中には4,000万円とか使っているって人もいます。

自己投資の良いところは、マイナスにならないというところです。

株や不動産にお金を投資すると無くなることもありますが、
知識への投資は絶対にプラスになります。

というのも、

知識や能力って最強の武器になるんですよ!

わかりやすく収入に現れることもありますし、
数年後などに役に立つことだってあります。

能力を身につけておけば定年退職後にも安定して働くこともできますし、
何かで大失敗して借金だらけになったとしても、
知識や能力があればそこから這い上がることだってできます。

起業家には破産しても成功している人もいます。

僕が尊敬している堀江貴文さんも、
一度刑務所に入れられてしまいましたが今もガンガン活躍していますよね。

 

お金や時間の優先順位を何にするかで将来が変わります。

 

お金と時間を今ただ遊ぶために使うのか?

それとも将来もっと良くなるために、知識や能力を身に着けるために使うのか?

いまどんな選択をするか、どこに投資するかで将来が変わるのです。

 

思えば僕も起業家になると決めてからは、
時間もお金もビジネス優先に使ってきました。

会社でもらったボーナスも全部ビジネスの勉強に使いましたし、
土日はもちろん、仕事終わりも副業やビジネスの時間にしました。

遊びたい!とかダラダラしたい!って思った時もありますが、
それでも将来のために自己投資してきたからこそ今があると確信しています。

Webデザイナーの講座をスタート

Webデザイナーの活動を始めて1年ほど経ち、
Webデザイナーを育成する講座を始めます。

元々人に教えることにも興味があったのですが、
Webデザイナーって、

・時間も場所も収入も自由になることができる
・未経験からでも誰でもできる
・人様にも社会にも貢献できる

そんな確信が得られたからなんですね。

「もっと稼ぎたい」とか「自由になりたい」って思っていても、

「自分は特技も才能も無いから無理―」とか、
「知識も経験もないからできないー」とか、
言ってる人いますよね。

そういう人に限って、
「誰でも簡単に稼げます!」とか、
「お手軽な作業で即収入!」
みたいな
「楽して稼ごうぜ!」
っていう怪しいモノに飛びついて残念なことになっちゃたりしてます。

僕はいつも思うのですが、

能力がないなら身に着ければいいじゃん!

知識もないなら勉強すればいいじゃん!

って思うのです。

スポーツで上手になりたかったら練習しますよね?

大学に合格したかったら勉強しますよね?

それと同じです。

 

そしてWebデザイナーって、
パソコン1台でできるからこそ、
誰でもできる、
自由が手に入る、
その根拠とメリットが沢山詰まっている仕事なんです。

実際僕もWebデザイナーを始めてから人生が大きく変わりました。

パソコン1台でいつでもどこでも仕事ができるようになったからこそ、
長期でアメリカに旅行に行くこともできましたし、
今でも年に2-3回海外や国内旅行に行ったりもしています。

自分のビジネスを作るという夢も、
脱サラして自由なライフスタイルを手に入れることも、
月収100万円稼ぐという目標も、
憧れだったタワーマンションに住むことも、

全て叶えることができました。

 

以前の僕と同じように、

「稼ぎたい、自由になりたい」

って悩んでいる人の助けになりたい。

一緒に人生を充実させていくことができればいいな。

そんな想いがあり、

「自由に稼げるWebデザイナーを育成する講座」

を始めました。

 

Webデザイナーの仕事で年収1億円とか年商50億とか、
複数の会社を経営するビジネスオーナーみたいなのはさすがに難しいですが、

個人でやりたいと思うくらいのことはだいたい叶えることができます。

 

Webデザイナーの講師をしていると、
よく「兵頭さんだからできたんじゃないの?」と聞かれることがあります。

確かに僕は中学頃から良くパソコンは使っていましたし、
SEもやっていたので多少の知識はありました。

ですが上にも書いたように、
この仕事を始めるまでWeb制作をまともにやったことはありませんでしたし、
デザインやイラストなどは全くの未経験で、知識も技術も何もありませんでした

現時点で経験や知識がないからって、
今後もできないという理由にはなりません。

 

知識が無ければ勉強すればいいのです。

技術が無ければ練習すればいいのです。

経験はこれからいくらでも積み上げていけるのです。

最初は誰だってゼロからのスタートなんですよ。

 

「自分にもできるかもしれない」

その可能性に正面から向き合って、
可能性を現実にするために一歩踏み出した人だけが夢を叶えることができます。

 

僕も起業やビジネスの知識は最初からあったわけではありません。
Web制作もはじめからできたわけではないのです。

いろんなセミナーやビジネスを通じて知識を身に着け、
Webデザイナーとして仕事をするためにゼロから勉強して、
失敗や試行錯誤を積み重ねてだんだんできるようになってきたんです。

特にWeb制作はパソコン作業です。
スポーツみたいに体格や才能に影響されたりしません。
手順通りに丁寧にやれば、本当に誰だってできるようになります。

実際、今まで僕が教えた生徒の中にもいろんな人がいます。

元々絵が好きだった人やエンジニアをやっていた人もいれば、
パソコンのフォルダ分けを知らない人だったり、
まともなタイピングすらできなかったような人もいます。

そんな人たちも立派にWebサイトを作れるようになり、
フリーのWebデザイナーとして仕事を始めたり、
自分のビジネス用にWebサイトを自分で作って活用したり、
また、Webデザイナーのスキルを売りにして転職を成功させた人もいます。

 

全く何もわからないところから、Webサイトの作成ができるようになったことに自信と達成感を感じました。(K.Kさん)

潤沢な教材だけでなく、講師のレスポンスが早く丁寧なフォローをしていただけたため、詰まる部分があっても一つ一つこなしながら進めることができた(M.Kさん)

最初はできるようになるか不安でしたが、丁寧に教えていただき、Webサイト作成に関する知識と技術を一通り学ぶことができました。(K.Kさん)

きめ細かく厳しく指導いただきました。これからは顧客のニーズにこたえるサイトを作っていきたいと思います(D.Yさん)

といったフィードバックもいただいています。

 

ここだけの話、
「この人本当にできるようになるかな?」って
僕でも不安を感じるような人もいました。
そんな方でも立派にWebサイトが作れるようになりました。

だからこそ今ではWebデザイナーが持つ可能性に、より一層の確信があります。

冷静に考えてみても、
本当にやるべきことをちゃんとやるだけですからね。
できないって方があり得ないんです。

僕はWebデザイナーを始めたころは独学だったので、
Webサイトの作り方や仕事のやり方も全て手探り状態でした。

この講座には、
僕がその当時「あったらいいな!」と思ったものを全部詰め込んでいます!

詳しく解説すると長くなってしまいますので、
興味のある方は僕の配信している動画を見てみてくださいね!

<動画のリンクとか?>

 

僕もまだまだレベルアップしています!

いまは自分のWeb制作の特技も活かして、
Webマーケティングの勉強もしています。

最近は特に思うのですが、
講師こそ「成長と挑戦」を忘れてはなりません。

教える立場が、
自分が完璧だと思ってしまうと、
それで止まってしまいます。

 

僕の目的は、

技術も能力も身に着けた、

自由に稼げるWebデザイナーを育成すること。

そして自分自身も幸せにできて、

社会にも良い影響を与えられるような人を増やすことです。

 

そのために今も謙虚に学び続け、己を磨いています。

 

インターネットや技術が発達し、
またSNSや情報発信の場も多様化して、
生き方も稼ぎ方もライフスタイルも、
個人が自由に選べる時代になってきました。

その反面、情報の波に埋もれて迷っている人も多いです。

これからも世の中はどんどん変化していくでしょう。

一人でも多くの人が、
それぞれが望む幸せな人生を歩める、
そんな世の中が実現できればいいなと思っています。

まだまだ僕も20代です!

これからもどんどんレベルアップしていきます!

最後に

長い長いプロフィールを最後まで読んでください、ありがとうございます。

今後とも当ブログ、およびSatoshi Hyodoをよろしくお願いします!